ゲーム機しか知らなかった僕がMacに恋をした日

ゲーム機しか知らなかった僕がmacに恋した日 Apple製品と暮らし

あなたは初めて“見た目だけで惹かれたパソコン”を覚えていますか?

僕にとってそれは、Macintosh=Macでした。

これは僕の周りでMacどころかWindowsでさえ使っている人がほとんど居なかった時代、雑誌の片隅で出会った話です。

パソコンが一部のマニアのもので、情報は雑誌で仕入れていた時代。

県内に1台しか見られなかったMacとの出会いが、

僕の30年の「道具との付き合い方」を変えるきっかけになった──

僕にとってパソコンはゲーム機だった

小学生の頃、初めて手にしたパソコンはMSX。

電源を入れると、真っ黒な画面に白い文字が並んでいた。
それが、BASICというプログラム言語との最初の出会いだった。

MSXは確かに“パソコン”だったけれど、僕はゲームばかりしていた。その後、周りの友達と同じようにファミコンを手に入れ、PCエンジン、メガドライブ、ゲームボーイと、僕の小中学生時代は“ゲーム一色”だったと言っていい。

当時、『BASICマガジン』というアスキーから出ていた雑誌があった。その中には、読者が投稿したBASICプログラムのコードが掲載されていた。

4~5ページにもわたる英語だらけのソースコードを、ひたすら手で入力する。
エラーが出るたびに間違いを探して、直して、また実行。
これを繰り返して、ようやくゲームが起動する。
ドラクエの復活の呪文で鍛えた精神力が、こんなところで役に立つとは思わなかった(笑)

少しだけコードを書き換えると、ゲーム内容がガラッと変わることもあった。
それが面白くて、夢中でいじっていたのを覚えている。

意味のわからない文字列をひたすら打ち込んで、うまく動けば“無料でゲームができる”
それが、僕にとってのパソコンだった。

画像出典:Wikimedia Commons(Author: Sailko, CC BY-SA 3.0)

FM TOWNS、Windows3.1そして音楽制作ソフトとの出会い

僕の周りには、マニアックな友達が何人かいました。そのひとりは、当時としては珍しいワープロ専用機・OASYS(オアシス)を持っていました。

パソコン=ゲーム機と思っていた僕にとって、文字をサクサクと打てるその姿は衝撃的でした。

「えっ、こんなに簡単に文章って打てるの?」って感動したのを覚えています。

……でも今思うと、「なんで中学生でオアシス持ってたんだよ?」っていうツッコミは消えません(笑)。

そしてその友達は、なんとFM TOWNSを買ったというのです。学校帰りにその話を聞いて、慌てて「今から行っていい?」と友達の家まで自転車を走らせて、あのグレーの筐体を見せてもらったときの、あのワクワク感。
今ではほとんど見かけないけれど、当時は“未来感のあるマシン”という印象でした。

さらに、もう一人の友人が持っていたのは、Windows 3.1が入ったノートパソコン
しかもその中には、音楽制作ソフト「ラプソディ」が入っていました。

「パソコンで音楽が作れるなんて!」

それまでゲームのための道具だったパソコンが、“楽器”になるなんて思ってもみなかった。
ソフトで音源を選び、画面上で音符を並べて、再生ボタンを押す。
MIDI接続でシンセサイザー(たぶん808)とつないで、夜な夜な僕らはパソコンと音楽に没頭していました。

マニアな友達たちのおかげで、僕の中で「パソコン=ゲーム」の固定観念が少しずつ崩れていったのを覚えています。

気づけば、パソコンは「何かを創る道具」「未来を感じさせるもの」へと変わっていった。

可能性は無限大――そんな感覚が、じわじわと僕の中に染み込んでいった時代でした。

富士通 FM TOWNS 2F 本体写真
画像出典:Wikimedia Commons(Jordi.salat)|ライセンス:CC BY-SA 4.0

憧れのMacという存在

「パソコンがあれば、きっといろんなことができる」
そんな“可能性”に魅せられて、僕はいつか自分のパソコンが欲しいと思っていました。

感覚的な話になりますが――

当時、NHKで深夜に放送されていた宇宙ドキュメンタリー番組が大好きで、大学生で暇だった僕は(笑)、毎週のように見ていました。

星々の映像、銀河の動き、ナレーションの淡々とした声…。テレビの中に広がる宇宙と、なぜかパソコンのイメージが重なっていったのを覚えています。

「コンピューターがあれば、宇宙のような未知な世界とつながれる」

そんな根拠のない感覚が、自分の中に芽生え始めていました。

そんなある日、パソコン雑誌の白黒のショップ広告ページに目が留まりました。そこに写っていたのは、ディスプレイ一体型のコンパクトな筐体と、Appleのロゴ

「これだ。未来を手に入れるなら、これしかない。」

衝撃でした。僕はその広告ページを、何度も何度も見返しました。ページの端がクタクタになるまで、読み返したのを覚えています。
ただ当時、地元ではAppleを扱うお店なんてまったくなくて、県内でわずか1店舗のみ。

ようやく見つけたその店の家電量販店のパソコンコーナーの片隅に、ちょこんと置かれていたMacintosh Performaに出会ったのです。

小ぶりで、丸みのあるデザイン。

外観だけで、「何かが違う」と感じさせるオーラ。僕はその前に立ち尽くし、しばらく動けませんでした。

OSのファインダー。アイコン。アップルロゴ。

どれも神々しくて、マウスを手に取ることすら、恐れ多いとすら思った。
その日、僕が初めて出会ったMacintoshは、ただのパソコンではありませんでした。

それは、「いつか自分の手で未来を広げるための“夢の道具”」になったのです。

Macintosh Color Classic 1994年モデル
画像出典:Wikimedia Commons(Alessandro Grussu)|ライセンス:CC BY-SA 4.0

こうして僕は、「自分で初めて買うコンピューターはMacにしよう」と思った。


Appleというブランド名は、ずっと頭の中に残っていた。


あの白黒の広告ページも、家電量販店の片隅にあったPerformaも、
すべてが僕の中で“未来の記憶”として刻まれていたんだと思う。


そしてついに、その未来を手にする日がやってくる。
僕とMacの物語は、ここから本格的に始まっていく。

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